住んでいてもあまり知らない?武蔵小山周辺の「地名」の由来を紹介します。

地名

小山

小山八幡神社が小高い山の上にあったことから、小山という地名が付いたとされています。

小山八幡神社は1030年頃創建の歴史がある神社で、かつては「妙見八幡」「池の谷八幡」と呼ばれていたこともあったそうです。

小高い山の上にある小山八幡神社
小高い山の上にある小山八幡神社

平塚

1080年頃、後三年の役に出兵していた源義光が奥州からの帰り道にこの付近で夜盗に襲われ、多数の兵が命を落としたことから霊を祀るために塚が設けられました。その塚に由来する地名です。

今もバーミヤン荏原店の裏手に「平塚の碑」があります。

ちなみに、中原街道の終点である神奈川県平塚市も同様に「塚」が由来の地名です(桓武天皇の孫の娘が当地で病死したのを祀る「平塚の塚」がある)

武蔵小山

武蔵小山駅の周辺地域を指し、実際に武蔵小山という地名は存在しない。

1923年に目黒蒲田電鉄(現在の目黒線)の駅として「小山駅」が開通した。しかしその翌年に武蔵小山駅と改称したことで武蔵小山の地名が生まれたと考えられる。

改称の経緯としては、栃木県の同名の駅との混同を避ける目的や、目黒蒲田電鉄の誘致にも尽力した地主・石井仙之助氏が名付けたとする説がある。

武蔵小山駅前

目黒本町

住居表示を決める際に、町会や住民の提案や投票をふまえて決まった。ほかに「南目黒」や「南が丘」などの候補があったとされる。

碑文谷

碑文谷八幡神社境内にある「碑文石」に由来する。碑文石のある谷。もしくは鎌倉・室町時代から檜の加工品である「檜物」の加工がさかんであったことに由来するという説も。

荏原

荏胡麻(えごま)が茂る原という意味。荏胡麻油を大和朝廷に献上していたという記録も残っており、古い地名。

「荏原」は品川区荏原だけでなく、現在の品川区・目黒区、大田区や世田谷区の一部、さらには川崎市の一部なども含めて荏原郡と呼んでいた時代もあった。

後地

「地蔵堂の後ろの土地」という意味。

この地蔵堂とは、現在はライフ武蔵小山店の入り口横にある朝日地蔵堂のことで、戸越村の有志が1667年に建立したとされています。ちなみに、ライフが入居するマンションの名前は「ハイムジゾー」

後地交差点は品川宿から目黒不動尊や円融寺へと続く道の分岐点であり、交通の要所でもあった。団子を出す茶屋が繁盛していた時代には「煤団子(すすだんご)の辻」と呼ばれていた。

戸越

「江戸越え」に由来する。江戸から来て戸越を越えると相模の国に入ることから付いたという説が有力。

ちなみに戸越銀座商店街は全国に300位上ある「○○銀座」のはしりとされている。関東大震災で処分に困った銀座のレンガ瓦礫を引き受け、通りに敷き詰めて歩きやすくしたことから、銀座と縁が生まれた。

桐ヶ谷

桐林であったという説や、霧の多い土地だったという説がある。

道路

中原街道

徳川将軍が鷹狩をするために設けられた「中原御殿(神奈川県平塚市)」と江戸を結んでいたことから中原街道と呼ばれるようになったとされている。

中原街道自体は古代から街道として使われており、1590年に徳川家康が江戸に入った際にもこの道を通ったとされている。

26号線

正式名称は「東京都道420号線」 品川区八潮から板橋区までを結ぶ道路として、山手通りと環七通りを補完する役割のある道路。

計画時点では「東京都都市計画道路補助26号線」という名称だったことから、26号線の名で定着したと思われる。ちなみに、26号線は目黒郵便局から戸越3丁目交差点(第二京浜)までの区間を指す。

大雪が降る26号線武蔵小山駅付近
大雪が降る26号線武蔵小山駅付近

立会道路

この道路の下を流れる立会川(現在は暗渠)に由来する。

立会川の由来としては

・川を挟んで小競り合いがあったことから「太刀会川」

・下流にある鈴ヶ森刑場に送られる罪人を最後に見送る場所であることから「立会川」

などの説がある。ちなみに立会川の源流は碑文谷池と清水池。

立会道路・西小山付近の桜並木
立会道路・西小山付近の桜並木

かむろ坂(禿坂)

辻斬り強盗を働いた元鳥取藩士である平井権八が鈴ヶ森刑場で処刑され、目黒の冷法寺に埋葬された。彼と恋仲にあった吉原の遊女・小紫が冷法寺の墓前で自害。

小紫が帰らないことを心配した下女の「かむろ」が目黒に向かったところ、この付近で襲われそうになり、桐ケ谷二つ池に身を投げて自害したことを偲んで「かむろ坂」と名付けられた。

平井権八と小紫を祀った塚が目黒不動尊と安楽寺にある。

かむろ坂の桜
かむろ坂の桜

プリンス通り

ケンタッキーフライドチキンやコメダ珈琲などがある通り。

その昔、プリンス座と呼ばれる映画館があったことに由来する。プリンス座の他にも、武蔵小山周辺には複数の映画館が存在していた。

施設

パルム商店街

昭和60年に「パルム(Palm)」という名称が決まった。

パルは「友達」、「ム」は武蔵小山の頭文字。「素敵な友達と逢える街」「ふれあいの街」という意味がこめられている。

両社祭で賑わうパルム商店街
両社祭で賑わうパルム商店街

林試の森公園

もともと林業試験場だったことから名付けられた。1900年に目黒試験苗圃として設置され、日本の林業研究発祥の地とされている(園内に石碑が設置)

林業試験場がつくば市に移転し、跡地が東京都に払い下げられ1989年に公園として開放された。現在も林業試験場当時に植えられた樹木が多数残っている。

林試の森公園
林試の森公園

三谷八幡神社

「宗教上の軋轢」により、1700年頃に小山八幡神社から分社してできた神社。名主の石井助太夫が小山八幡神社から八幡神像を移転し、三谷と呼ばれていた当地に祀ったことが始まりとされている。もともと出世稲荷があった場所で、現在も敷地内に稲荷がある。

星薬科大学

「東洋の製薬王」と呼ばれた星一(ほし・はじめ)氏が創設した。ちなみにSF作家として有名な星新一氏は星一氏の息子。

また、五反田や有明などにビルを保有するTOC(テーオーシー)はもともと「星製薬」として設立された会社。五反田TOCビルは星製薬の工場跡。TOCは「東京卸売りセンター」から。